別にオカルト的な話ではないのですが、死んだら全てのこと(人間のレベルを超えて… 08月 29th, 2008
別にオカルト的な話ではないのですが、死んだら全てのこと(人間のレベルを超えて)が
分かる???って思い込んでますが、そんな風に思ってらっしゃる方いますか?
最近の通り魔事件や災害などを見るたび、
なぜ今まで同じように生きてきた人たちが一瞬で命を奪われ、
家族の前からその姿を消すのだろう???と悲しくなります。
それと同時に死んでしまった人はどうなるんだろう?
そんな理不尽な最期を迎える人と、そうでない人がいますよね。
そうやって考えてると、生きてる間だけが全てじゃない気が
してくるんです。
ちなみに何か本を読んだとか、宗教入ってるわけでもなく、
全く普通のOLです。
人間も全ての生き物も、いわゆる「生きている間」っていうのは
ほんの一部分なんじゃないか?
死んだら全てみな平等で、人間の概念では理解できないこと
全てが分かるのかな?なんて、一人で空想してます。
愛する家族がいますから、もちろん自分の命は責任を持って
守るし、家族の命も守ります。
でもいつかはみんな死んでしまうんですよね??
別れはすごくつらいのですが、もしそういった私たちには分からない世界が
あったらいいのにって思ってます。
そんなこと考える方、いらっしゃいませんか?
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08月 29th, 2008 at 11:55
質問文を読んで、ほっとします。「現在の」私たちの概念では捉えられない(気づかない)世界を想い、わくわくすることは素敵なことだと思います。理屈や理論、いわゆる科学的な概念に縛られて、子供の素直な問いへの答えに窮するとき、発想の貧困さに苦笑いしてしまいます。ある有名な自動車王がある日裁判にかけられました。理由は、「その男の無知蒙昧ぶりを国民に晒すため」だったそうです。対して、その自動車王は「私がすべての物事に精通する必要があるとでも言うのか?」「優秀な部下がおり、優秀な秘書がいる。必要なものはすべて、私が求めれば、彼らが私の元に差し出してくれるというのに、なぜ、私自身がすべての物事に精通する必要があるのかね?」【どのようなメカニズムで願いが叶うのかを知る必要はありません。貴方の願いを宇宙がどうアレンジし直すのかを知る必要はないのです。しかし、いずれ解ります。理解できなくても使いこなすことは出来るのです。】-『ザ?シークレット』より子供みたいに素直な気持ちはとても大切だと思います。死や生に関して、自分と宇宙との相似の関係、フラクタルな関係???遠大で、遙かなテーマですが、素直で、肯定的な気持ちで生活するうちにたくさんの気づきに恵まれると思います。とりとめもなくて失礼しました。
08月 29th, 2008 at 11:55
死んだら、全知全能に成りながら、全知全能であるが故に、我々生者が世界と呼んでいる領域に干渉できなくなる。生前の友人、AさんとBさんとCさんがいる世界に現れて、「幽霊だ!」と言われて騒がれたり、マスコミにスクープされて〈特集、現れた幽霊!!!!〉とかいう記事を組まれたり、Aさんに「死ぬってどんな感じ?」と問われたり、Bさんに「生きてる時とどう違うの?」と問われたり、Cさんに「小学生の時の秘密基地の場所、覚えてる?」とか聞かれたりして、死んだ一人と、生きている三人が一緒に、想い出の地を巡り歩く、という様な事ができる訳ですが、それは、この世界の事ではない。この世界ではその時、AさんとBさんとCさんが喪服を着て、笑っている自分の暗い写真の前で、お焼香をあげている。そんな事を考えました
08月 29th, 2008 at 11:55
酷なようですが、人は亡くなればただの物質。そ言う言う意味では亡くなったら平等でしょうが。遺骨がお墓に納められる場合、色々な墓があるのだから平等ではない。まあ、単なる物質に平等?不平等と言う概念を当てはめること自体意味がないけれど。死後の世界(あの世?天国?地獄)があると言う人がいますが、その根拠はないし、科学的に考えればありえない。なお、人が亡くなってしまってからどうこうしたところで、仮に亡くなった人の霊があって、それを霊が喜んでいるのか悲しんでいるのかわからない。単なる自己満足しているだけ。断っておきますが、そのような自己満足の行為をを非難するつもりは全くありません。だから、人は生きている間に人としての道に外れず、愛と節度のある行動を以って人と付き合わなければならない。亡くなってしまってからでは遅いのです。人間の一生って短いもの、生きているうちが勝負ところなのです。My Blog:http://plaza.rakuten.co.jp/tokutokuchannel/
08月 29th, 2008 at 11:55
超心理学という分野では、心理学者や医学者が、生まれ変わりとか、臨死体験、死後生について科学的に検証しています。それによれば、人が死ぬと精神体(一般で言う魂や霊)は肉体を抜け出て、光るトンネルのようなところを抜けて、光り輝く世界(天国とイメージされている場らしい)に行くそうです。そこで、光に包まれている人のようなもの(神や天使とイメージされている何からしい)と出会い、その助けを借りながら、自分の人生を走馬灯のように振り返る。そして、また新たな課題を持って、別の人になってこの世に出てくるのだそうです。つまり、ひとつの人生は、その精神体の成長の中での一つの修行の場に過ぎない。何度も人生という修行の場を経験し、修行の必要がないほど成長した精神体は光り輝く世界にとどまり、他の精神体の成長を助けるのだそうです。その意味では、死んだら全てが分かるのではないようです。死んだらもう会えないのではなく、死んだ後の世界で先に死んだ人とまた会えるのだそうです。また、臨死体験をした人は、死ぬことが怖くなくなり、だから安易に死のうとするかというと全く逆で、生きていることの意味がよく分かるので、さらに前向きに生きるようになるそうです。こうしたことは、臨死体験者の証言、退行催眠で前の人生にさかのぼった人の証言等から導き出されたものです。超心理学は、今は特に日本では疑似科学扱いで、オカルトと同じと思われていますが、研究のアプローチは科学的です。マイアミ大学医学部のブライアン?ワイスという教授は、生まれ変わりについて検証を重ねた末、「事実だと考えざるを得ない」と戸惑いながら認めています。(キリスト教は教義で生まれ変わりを否定しており、ワイス教授は敬虔なキリスト教徒だった。宗教的には信じないが、科学的には認めざるを得ない状態になった訳です。)私は無宗教ですが、心理学関係で検索しているうちに、ある経営学者が書いているサイトに行き着き、こういうことを知りました。彼は、「こういうことを書くことは経営学者の自分にとって決してプラスにならないと分かっている。でも、こういう話をすると、誰もが生きることの意味に気づき前向きになる。また、いたずらに死を恐れなくなる。だから書くのだ。」と言っています。信じているというのとは、ニュアンスが違うのですが、ありうることと私は思っています。「死後の世界は科学的に見てありえない」と批判する人がいますが、その「科学」は、「今現在の水準の科学」でしかありません。科学の歴史を見ても、天動説から地動説へ、ニュートン力学から相対性理論へと根本的な枠組みがガラッと変わったことは何度もあります。また、批判する人は研究者の文献を読みもせずに、はじめからありえないと拒否しているだけです。それは、科学的な態度ではないと私は思います。立命館大学の安斎教授は、もともと放射線防護学専攻で、生まれ変わりや過去世体験を科学的に検証していますが、「もし散々調べた結果、やはり現代の科学とは矛盾する現象だということが分かったら、すばらしいことです。その時こそ、科学が飛躍的に進歩するチャンスです。これまでの体系を見直し、新たな事実も説明できる知識の体系を組み立てることが出来るのですから」と言っています。<補足を読んで>あなたがそう考えることでマイナスになることは何もありません。もし、死後の世界が無だったとしても、その時には意識がないのだから何も感じません。もし、あなたの考えたとおりだったら、「死後は無だ」と主張した人は後悔することになりますが、あなたは「やっぱりそうだった」と思えます。ですから、今の考えを持ち続けられればいいと思います。興味があれば、読んでみてください。福島大学経済学部助教授の飯田史彦氏のサイトです。オカルトとは一線を引こうとした抑制の効いた書き方になっています。ただし、長文です。http://www.sol.dti.ne.jp/~sam/realaim/Lifeindex.html
08月 29th, 2008 at 11:55
確かに辛いでしょう。でも命が永遠に持てるとしたら犯罪まみれの世界になってしまうでしょ。命の大切さが分からなくなる。だから命の尊いが大切のが人間です。だから悲しいこそ、生きるべき。。それが分からないのは最近のニュースに殺人犯罪者と同じですよ。だから別れの辛さが分からない世界こそ、恐ろしい世界になり得るかもしれません。親が亡くなるのは悲しいだけど新しい生命が生まれることになる。それが自然のさだめですから。悲しいことでおもっきりに泣いてから強くなりますので。貴方も頑張ってね。