常識とは多数派の考えの事なのでしょうか 08月 29th, 2008

    常識とは多数派の考えの事なのでしょうか?

    前に似た質問をしましたが、この質問に絞ってお聞きしたいので教えてください。

    ほとんどの人が常識(当たり前)だと思っている事が、私にとってはそうとは思わない事があり、逆の場合もあります。

    常識とはマイノリティの人を無視した状態の事なのでしょうか?

    例えばですが、「人に迷惑さえかけなければ良い」と言っている人が家に風鈴をつけたとして聴覚過敏の人が終止その音に苦しんで迷惑だったとしたら、
    「人に迷惑さえかけなければ良い」というのは一般的に言われている事のみを
    指すのでしょうか。

    批判している訳ではないのですが、回答をお願いします。



8 Responses to “常識とは多数派の考えの事なのでしょうか”

  1. ayk30000 Says:

    その通り、少数派のことは無視されるのが通例です。そして常識を根拠に自分の意見を通す輩はほとんど自分を省みるということをしないようです

  2. lavie13572000 Says:

    回答になってるか解りませんが、常識に沿って動いていたほうが99%楽だと思います。先人が長い年月をかけてたどり着いた答えが常識というものなのではないでしょうか。それは1個人の答えではなく、人間社会の集団においての答えだと思います。だから常識は確かに少数派を無視してるとおもいます。常識は多数派の考えだと思います。でも大多数の中でスムーズに動きたいなら、常識にとらわれていた方がいいと思います。しかし常識は万能ではなく、時代や環境によってはそれが究極では無くなることもあると思います。

  3. ayk30000 Says:

    集団(国家、コミュニティ)が存続するための常套手段であり、その集団がヒトで形成されるのであれば常識を持つというのはある意味ヒトの本能とも言えます。集団はどんな目的にせよ最低限度のレベルではある程度の統制が取れていないと成り立ちません。最低限度のレベルで集団である為の物、集団を一個の生物と考えるなら集団を形成する個人こそが細胞で歴史(過ぎ行く時間)が血液で常識が生命維持活動(本能)のような物ですね。

  4. lavie13572000 Says:

    常識とはリーダーが存在し、ある意味での欲望を持ち右へ倣いする。悪いことでも身分、地位、権力を持つと「まーいいや」と、なる。だらしない精神になる。あなたも、ご存じかと思いますが酒やアルコール類を飲む行為は常識じゃない。米麹で、どろっとしたようなものは体に良い。分解中ならいい。少しなら。モロコシやイモ、麦、ブドウ等などさらさらしたものは水分を体内から抜く。悪い菌もよい菌も殺す。さらさらしたものはアルコールを抜いてから食事に使うのが基本。料理に使うようにね。塩も常識的に見れば当たり前のように使っているが実は麻薬と同じ。大昔から人類は海から生まれたとされてきた。切っても切れない塩辛い海。海から出て陸に上がり進化。大昔から塩辛い海があったんじゃない。淡水から徐々に塩辛くなったんです。世界各国の有名な学者や研究者様も海が元から塩辛いと認識。大昔から代々受け継いでいますよね研究される人たちは。鼻っから塩辛かったと勉強された。塩辛いのが当たり前、常識。ここが間違いの原点。器材を駆使して調査されても淡水からゆっくりと塩辛くなった海を未だに解明できない。知恵袋で僕が書いても誰、一人として気にしない。東大生も見たよね。国が異なれば教育も異なる。独島を竹島と呼ぶよね。互いの国々で井の中の蛙精神。世界標準書もルーツも、ねじ曲がっている。神仏宗教も。皆さんの頭の中には有名な学者が研究者が発表したことだけ記憶。なぜ僕が復活できるか。各神仏宗教の中に隠されていても無視。哲学とされているが科学、化学、物理学、生態学、進化論、等などを入れてある。地球の仕組み。地球の成り立ち。誕生。だけど前記と同じように未だに解明されていない。僕が言いたいのは俺たちのことは気にするなというが地球は一つしかない。人類のために地球があるんじゃない。全ての生物の一員に過ぎない。なのに地球の宇宙船の身を未だに削っている。生き血を啜っている。命の尊厳、寿命も身分や地位、権力者が権力国が好きなように操ってる。これが常識。非常識。明日のわが身を命を捨てたお気楽な人が多い。子供を作って子供を苦しめる人たち。子や孫を家畜のように。「食え食え食わんと大きくならん」「太っても好きな子ができたら痩せるだろう」これが常識社会人。

  5. impactwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww Says:

    いわれているとおり、法律を踏まえたうえで、その集団でのマジョリティ(多数派)が常識といわれるものになると思います風鈴の例ですが、多くの人が風鈴に害を感じないのであれば、問題は無く 逆に、聴覚過敏の人を大多数が擁護するのであれば、風鈴の設置は問題となります。あくまで法律にのっとった上でというのが前提となりますが。。怖いのは自己判断の出来ない集団ですかね、、強力な影響力を持つ人がいれば自由に常識を作り出すことが出来ます一般に使われている常識という言葉は、自己のエゴ、人間が生きる為の合理性(法など)、宗教(思想)的観点などから生まれた使い勝手のいい言葉だと解釈しています。

  6. yuutaro7111 Says:

    ことばは神であった、漢字は神図で神示である、ことから、常識とは神から見て正しく当然のこと、基本=スタンダード、ということになります。常識の漢字を分析すれば、その心が解ります。常=ツワ口巾=天の用意した三位の輪の下で殻田に羽撃いてこれに実を充たす=神の鍛えに答えて魂を育てる=魂の成長を無視した思いと行動は非常識であるということです。ツ=川=三=SON=神の息子(幼子)=天地人=神幽現=頭首腹、の廻り(ワ=割る=散=殻=口)に愛(I=天意=骨=命の火音)を運んで詰め込んでいく=巾(破場)撃く=現実に飲み込まれる己の欲望(腹の虫の蝮=真無視=憂蛇野=ユダヤ)と戦う常=ジョウ=地外生(物質界)→つね=都根(天の都への道)=自分をつねり(反省=人間はカンガエル天子である)ながら生きる識=言音戈=ことばによって神(中心)の音(声、意)を切り裁いていく=宣託=選択=考える=神に帰る=神の視方をする言=二一一口=神(火と水の上下)の善悪、清濁、精神と肉体の差間を結ぶことに縁って全ては産まれる=言によらないで出来たものは何もなかった(ヨハネの福音書)、Word≒World=世界=言の葉=世界は神のことば(天意=愛)によって産まれ生きている=神の関与しないもの(出来事)はない=天地一切神の声、良くなる仕組みあるのみ音=日(火陽霊=SONの親のSUN)の神が立ち上がられた本意(天意=愛)に人は心を合わせることによって、根は栄えて、立派な真珠の実(神人夫婦の赤ん坊)を成らせることができる。音=オン=ON(凸)=おと=大人=サウンド=差を運努して咲かせる=神人のハーモニー=歌=人(日登=凸)として欠け(凹)に戦えば可可(母神の夢)は成る戈=ほこ=火鼓子=天から下ろされたソ(粗疎=凹=あ=右回転=水)の問と戦って(凸=左回転=火足り)答えてゆく常識=じょうしき=定に士気を上げる=スタンダード=主嘆蛇悪奴(神の赤ん坊=三=散酸)→主担拿明努(十字架=神輿、を担ぐ=神人の間釣り合わせをする)=信仰心があり、神向して進行する進攻の命の気概を見せる=神の子としての誇りをもって物事に当たること=神の見方をして神の味方(天使=天子)となって働くこと常識=道徳=コモンセンス=魂喪吽背運酢(物品に執着)→反省→魂萌運千主(主の智恵に従う)最後の学問「秀思學}のすすめ

  7. syuushigaku Says:

    常識(当たり前)とありますがそこら辺がちょっと。当たり前は「普通」といわれる事柄で当たり前=多数の意見、となり、マイノリティは迫害されがちです。バーベQで餃子を焼こうとすると「普通、ないでしょ」などと言われます。美味しいのに…。迷惑を考慮し、端っこで焼きます。それに対し常識はコモンセンス。つまり共通認識です。これはマイノリティ云々ではなく、皆知っている(知るべき)事柄です。風鈴の件ですが、これは近所に伝えておく必要があります。共通認識でないので。その上で鳴らすなら、非常識。

  8. boubuatrace Says:

    impactwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwさんこんにちは。[常識]は趣味の世界や家族、友人、都市、国、学校、会社といった集団的な場合でなど、場所と時代でころころ変わりますし、個人レベルとなるとまさに人さまざまですよ。ですからQさまの(^^;常識(当たり前)と食い違いがある場合はいっぱいあって当然だと思います。玄関の靴の揃え方から思想レベルまで。時々自分と同じ人間がもう一人いたら便利かなとも思いますが、恐らく全員の考えが一緒だったら退屈で、人から体験して学ぶ機会がなくなっちゃうんでしょうね。常識がマイノリティの人を「無視した状態」かというと、言葉が当てはまらない場合もあると思います。尋ねられている真意からすると、相互が理解できた上で自らをどちらかのポジションに位置づけている場合と、理解できないのか嫌いなのか、それ故に批判しあっているケースもあります。言葉通りに考えて時間的要素を加えると、少数派が多数派へと時を経て変わることも多々ありますから、この途中過程では無視もできないでしょう。古いものや複雑化した難しい表現を知的に感じる傾向があったりますが、実際、人ってすごくシンプルで、好きか嫌い、プラスかマイナス、損か得か、許せるか不安かぐらいでしか判断していなくて、その人や社会の状態が変わると言葉の意味もすぐ変化するんだと思うんですが。例えば、「喫煙」や「個性の尊重」など取っても、戦後からの高度成長期には映画やその時代の人の話を聞く限りでは、喫煙が苦難に立ち向かう男のシンボルみたいに扱われていたり、ある程度の機能的な製品を大量に品質良くつくる事に重点がおかれていましたから「個性の尊重」とは言いながら実質個性より統制が常識でしたが、バブル期以降目の肥えた国民には差別化商品で売れなくなると「個性」?アイデア」最近ようやく「デザイン」重視が常識化し能力主義も定着してきましたし、健康に目を向ける余裕も出だして喫煙者なんてもってのほかになってますから??。ただ、マイノリティであれ、常識派であれ、相手方を批判するあまり「馬鹿」であるとか人でないような言葉を発する人は、まぁ気持ちは分りますが私にはそれが誰であれ子供っぽく感じます。個性を認めろと主張しながら、多数派を批判して認めない、その逆にマイノリティはクズ扱いする人も、どちらが常識派かしりませんが、、、どっちもどっちで同じことやってるとしか思えない。ある程度理解した上でスタンスをどちらかにおくかを決めるなり、調和案を考えるのが好きですけど??。で、「人に迷惑さえかけなければ良い」もそのまま辞書の言葉のように受け取られない方が良いかもしれませんよ。ニュアンスがお伝えできず、万人が見るここでは書きづらいですし、生命や身体をおびやかすような事、身体的や環境的なことを指摘して相手の心に障害を与えるようなことは推奨しませんが。風鈴の例えは、風鈴を鳴らしている人が聴覚過敏の人に気付いているかは大きなポイントですね。風流な音色だから人の耳には心地よい??が一応世間常識でしょうけれど、過敏とまでいかずとも、静かにしたい気分だった人には迷惑ですから、世間一般常識をルールのようにかざして、迷惑だと知りつつ継続したら、その時点で私には「常識外」に思えます。それでも「風鈴」の音色に慣れさせてやろうとの意図で継続する人だと困った話ですけど??。人間関係ってダイナミックに影響を与え合うなものなので、「人に迷惑=相手に悪い気分を与えることがいけない事」と、これも辞書的に受け取って感情を抑えたりするのも、ある程度バランスを考えてにしておかないと、自分の方にストレスとなって悪い影響がですまから、絶対ルールとは考えずに、迷惑だったら迷惑と相手が気分を害そうが正直に伝えた方が良い場合もあるかと思います。相手も傷つくかもしれませんが、それで相手も何か学習できる場合があると思うからです。若いうちの相手の気分をおもんばかって、感情を抑え込むと苦しいんじゃないかなとも思います。これも書き方が難しいですが、ちょっとぐらいなら相手に迷惑かけようが発散してしまえとは書き辛い訳ですが???でも「若いから仕方ない」という言葉には、若い人がなるべく発散してその中で経験していくことが許されている意味も含まれてるとも思うんですけど。ただこれ家族だとやっかいなんですが??。???常識的に受け取っていただきたいところ(^^;という変な結末に?いつも長文ごめんなさい????。ところで、、お名前のwは実は失礼な間違いしてるんですけど、何個違うでしょうか?

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